ハンドレッドアカデミーは、「つくる」を楽しむ学びのコミュニティです。誰でも無料で参加出来ます。
僕たちは、自分や家族、仲間たちがより豊かに暮らせるための創作活動をしています。
土、自然、アート、IT。
枠に縛られる必要はありません。何をつくっても大丈夫です。
僕は、「暮らしと自然」をテーマに2016年からいろんな創作活動に励んできました。






僕個人のテーマは、「暮らしと自然」。誰もが自分だけのテーマを決めて、自由に、自分の人生をつくることが出来ます。

僕はかつて日本中や東南アジアを放浪し、たくさんの「つくる人」を見てきました。どこに住んでいても、どんな経済状況でも、何かをつくっている人はみんな幸せそうでした。
世界には富の差がありますが、「つくる喜び」は、僕たちに平等に与えられます。貧富の差や人種、信仰、ジェンダー、何も関係ありません。
日常の暮らしの中には、たくさんの創作の種が隠れています。僕たちは普通、「衣食住」はお金を払って手に入れるものだと思っています。水。エネルギー。食料。衣服。食器。家具。家。

でも、それが当たり前ではない世界もあります。僕が滞在したインドネシアの農村部では、衣食住から冠婚葬祭まで、いろんなもの自分たちでつくっていました。
もちろん、とても大変な毎日です。でも、何でもDIYしてしまう彼らは毎日楽しそうで、僕のような旅人にも寛容で、家族や仲間を大切にし、そこで暮らす子どもたちの目はキラキラしていました。
稲を育てる。鶏を飼う。竹の家をつくる。村人全員で結婚式を催す。踊る。歌う。料理をする。毎日神様にお供えする。

僕が言っている「つくる人」は日本で言う職人のような特別な存在ではなく、普通の人です。僕の経験では、日本では今でも沖縄にこのような素晴らしい方々がたくさんいます。
それは、日常の暮らしの中に、創造的な営みが内包されている人です。そんな人に僕もなりたいと、そんな気持ちでこの10年間を過ごしてきました。

科学やITやAIがすごいスピードで発展し、暮らしに必要な衣食住がスマホのボタン一つで手に入るシステム世界。でも、そんな豊かな暮らしとは裏腹に、地球のどこかには飢えや戦争に苦しむ人もいます。そんな苦しい状況の人たちを、僕はニュースでいつも見ています。だから本来、僕は十分に幸せなはずです。
だけど、申し訳ない気持ちでいっぱいですけど、僕は自分が幸せとは思えませんでした。
誰とも繋がれず、自然とのつながりもなく、僕は孤独でした。
高校生時代は不登校でしたし、せっかく国家資格をとって入った医療の世界も、たった3年しか続きませんでした。レールから外れたときは、どうやって生きていけばいいか分からずに苦しみました。その当時は、自分で何かを生み出す力がなかったのです。

だけど、僕は追い込まれた結果、創作的な世界に入っていきました。命は必ず、生き延びる道を探します。

これは、僕が「手」でつくっているマグカップ。ロクロも使わないし削りもしないので、表面がボコボコです。おそらく原始人と同じ陶器の制作方法です。
このようにボコボコのマグカップは、現代の画一化された商品の中では「傷物」かもしれません。効率化が求められる社会では、少ない労力でたくさん生産できる(稼げる)人が評価されます。ちゃんと作れない人や要領が悪い人は「役たたず」として切り捨てられてしまう。
でも僕は、指の跡がついたこのマグカップが好きなので、これは僕の暮らしに無くてはならないモノなのです。なんとなく暮らしが豊かになったような気がして、毎日使っています。
普通の社会にはうまく適応出来なかった僕ですが、でも、ちゃんと生きています。
僕たち夫婦がつくったPOTOCOはたくさんの人が買ってくれるようになりました。

僕がみんなに伝えたいのは、「つくる喜び」です。それは、効率化とか損得感情とはかけ離れた、自分だけの喜びです。
みんなに認められる必要はありませんし、お金にならなくても構いません。その価値は自分だけが分かっていればよくて、その喜びを分かち合える人とたった一人でも出会うことが出来れば幸運です。


人と違ってもいい、むしろ、違うことに価値があるのだと思います。