コンポストは、資源の循環と微生物の働きを知ることが出来る素晴らしい取り組みです。
コンポストとは、家庭から出た生ゴミなどの有機物を「堆肥(たいひ)」にして再利用するための知恵とツールです。僕の家庭では生ゴミを行政に出して焼いてもらう必要はありません。
生ゴミだけでなく、家庭で出る草や落ち葉、剪定した枝、生命由来のものなら何でも大丈夫です。

生ゴミから生まれた堆肥はガーデンの肥料として使うことができます。我が家では資源やエネルギーを購入しなくても、おいしい野菜やハーブがたくさん取れます。

生活面でもメリットがあります。ゴミの重さのほとんどは、実は生ゴミによるものです。生ゴミは水分をたくさん含んでいるので重く感じ、生ゴミがなくなるとゴミ袋がとても軽く感じます。ゴミ出しが、とても楽になります。
ゴミを回収してくれる業者の方も楽になりますし、焼却するために必要な石油の量も減ります。社会全体で考えたとき、僕たちが1人あたりの年間の生ごみ量は、平均でおよそ100Kg。というこのは、僕の家庭では1年で夫婦2人分200Kgの生ごみが資源へと変わっているかもしれません。

コンポストは、はるか昔から人類が生きるために営んできた文化的な営みです。有機物を循環させ、生態系に還し、再利用します。
僕たちの体は炭素から出来ています。炭素を含み、生命の体から出来たもの。それを僕たちは「有機物」と呼んでいます。

有機物は発酵というプロセスで微生物に分解されます。目に見えないだけで、僕たちの身の回りではこの分解と生成のプロセスが絶えず行われています。僕たちはその目に見えない世界を知り、うまく活用していくことができます。
分解された有機物は、植物にとって単なる栄養素になるのではありません。土と混ぜることで、土が持つポテンシャルを底上げてくれます。そこに住む微生物、虫、小動物が生きやすい環境になり、生態系が活発になるのです。いわゆる土の「肥やし」の役割を果たします。

堆肥を生み出すのは微生物たちです。糸状菌や放線菌や細菌たちが分解の役割を担っています。
彼らが分解できる以上の生ゴミを入れることは、衛生上良くありません。彼らが分解できるキャパシティを見誤ると、腐敗が生じて強烈な悪臭を放つこともあります。ウジ虫やハエも沸きます。

山の落ち葉は微発酵しながら自然と分解され、腐葉土となります。雨のあとは少し湯気立ち、白いカビが見えます。自然の落ち葉が強烈に腐敗している光景を見ることはありません。動物の死骸などは腐ります。自然界ではバランスが取れています。
僕たちも、知恵によってバランスを取ることが出来ます。有機物をコンポスト化するときは、窒素分が多いものと、窒素分が少ないものをバランス混ぜることが大切です。食品は窒素分が多く、草や落ち葉は少ないのです。

コンポストのやり方は、働いてもらう微生物の性格によって変わります。
酸素が好きな菌(好気発酵)であれば、定期的にかき混ぜて空気を入れてあげます。酸素が嫌いな菌(嫌気発酵)であれば、密閉空間をつくってあげます。

僕たちの家庭のキッチンには、密閉できるバケツコンポストがあります。これは嫌気発酵で、清潔を保てますし野菜だけでなく卵の殻やお肉も分解できます。密閉していますので虫が入ったり臭ったりせず、清潔を保てます。市販の菌床を使えばとてもスムーズに分解されます。

ガーデンの端っこには、開放式の木製コンポスト。こちらは好気発酵をさせるので、定期的に混ぜます。基本的には植物性の有機物しか分解できません。

コンポストによって、感覚は磨かれます。糸状菌が出す甘い匂い。放線菌が出す土っぽい匂い。乳酸菌が出す酸っぱい匂い。アンモニアの匂いがすることもあります。
水分量も微生物の働きに大きな影響を与えます。水分が過剰になると嫌気発酵が有意になります。適切な水分量を知りたければ、手で握ったときの感触で覚えます。握って離したとき、形が残るくらいがベストです。

出来上がったコンポストで野菜を育てる場合、完熟したものを使うのが無難です。未熟なものを使う場合は、土に混ぜてからしばらく待つ必要があります。未熟な土で植物を育てるのはおすすめしません。
完熟したかどうかは、色や匂いで判断します。ミミズやキノコなどの生き物も住める環境です。野菜の種も発芽出来ます。

微生物は人間のためにゴミを分解するのではありません。発酵であろうと腐敗であろうと、微生物にとっては大きな違いはありません。シンプルに、自分たちが生きるために有機物を食べます。そのプロセスで、人間にとって都合が良いものを発酵、都合が悪いものを腐敗と呼んでいるだけなのです。
自然は本来、人間にとって特別に優しいということはありません。

例えば、現代でも上下水が整備されていない国や地域では未だにコレラが発生し、年間9万人も亡くなっています。分解が追いつかない不衛生な場所では汚水が溜まり、人間の脅威になる菌が出てきます。日本でも江戸や明治期にはコレラでたくさんの人が死にました。
コンポストに取り組むうえで、僕たちが現在健康で安全な暮らしを送れるのは僕たちの先人たちが上下水道やごみ処理施設を整備してくれたおかげだということを忘れてはならないと思います。清潔と健康がないがしろにされたコンポストは、ただの汚染になってしまいます。
自然と関係性を築きながら暮らすためには、それなりの知恵と態度が必要だと僕は思います。コンポストはその感性を養ううえでも最適な教材になると思います。うまく活用すれば生ゴミはなくなり、資源として再利用することが出来ます。