僕たちは「発酵」と聞くと、なんとなく“体にいい”“保存がきく”といった印象を持ちます。
でも、その中心にある乳酸発酵は、もっと根源的な「安心の科学」でもあります。
それは、菌が自らの環境を整え、腐敗や侵略を“静かに防ぐ”仕組み。
その仕組みは、私たちの体や心が“安全”を取り戻すプロセスにも驚くほど似ています。
乳酸菌の発見 ― 人が“腐らない変化”を見つけた瞬間
昔の人は、食べものが腐るのをどうにか防ごうとしていました。
そんな中で見つけたのが、「塩に漬けた野菜が長持ちする」という現象。
あるとき、塩に漬けた野菜が腐らず、むしろ香りが良く、味が深くなっていることに気づきます。
それが、乳酸菌の働きでした。
乳酸菌は、野菜の表面や空気の中にいる身近な微生物です。
塩を加えて空気を遮ると、彼らが食材の糖を分解して乳酸を生み出します。
この乳酸のおかげで、腐敗を起こす菌の動きを自然におさえてくれるのです。
“酸っぱくなる”のは、腐敗の始まりではなく、保存が始まったサイン。
発酵とは、菌が自分の環境を整える仕組みであり、
人間はその自然な変化を「食べものの知恵」として取り入れたのです。
乳酸菌が食材を守る仕組み
乳酸菌は、食材の糖を分解してエネルギーを得ながら、同時に“乳酸”を生み出します。
この乳酸が野菜から染み出た水分を酸性に変えることで、腐敗を起こす菌が働きにくくなります。
結果として、食べものはゆっくり変化しながらも腐らず、長く保存されるようになるのです。
でも、これは乳酸菌が「食材を保存しよう」としているわけではありません。
もっと根源的に言えば、乳酸菌の生き方そのものが、結果的に“保存という状態”を生み出しているのです。
乳酸菌は酸素を使わない「嫌気呼吸」でエネルギーをつくります。
このやり方は効率が悪くて、ゆっくりとした分解なのです。つまり、動きが遅いんです。
乳酸菌は、急がず、爆発的に増えず、ゆっくりと糖を分解して酸をつくる。
酸性になった場所では、他の菌たちは動けなくなる。
乳酸菌自身も、酸が強くなりすぎると活動をゆるめ、やがて静かに休眠します。
だから、乳酸菌は食材を食べ尽くすことなく保存することができる。
状態が良ければ、何十年も腐敗しないという現象が起こるのはこういう理由です。
つまり、乳酸菌は
①自分たちが生きるために食材の糖質を分解する
②そのとき乳酸という代謝産物がでる
③乳酸液によって、腐敗菌が活動できなくなる
④乳酸菌は自身が作り出した「酸性の環境」で休眠し、半永久的に生きる
⑤結果的に、人間にとって食品の保存になる。
ということなんです。
「食べ尽くす菌」と「生かし続ける菌」― 生命のリズムのちがい
自然界の菌たちは、それぞれ違うリズムで世界を動かしています。
どの菌も生きようとしている点では同じですが、「どう生きるか」の方法が違うんです。
たとえば腐敗菌。
彼らはたんぱく質を分解してエネルギーを得るタイプで、
酸素がある環境で一気に増え、食材の栄養を食べ尽くします。
だから、彼らの生き方は「速い」。
すばやく繁殖し、食材を食べ尽くしたら次の場所へ移る。
そのスピードと循環の中で、生態系の掃除屋として重要な役割を担っています。
彼らがいなければ、世界は滞り、命の循環も止まってしまうでしょう。
一方、乳酸菌の生き方はまったく逆です。
乳酸菌は糖を分解し、乳酸をつくり出して環境を少しずつ変えていきます。
周囲のpH(酸性度)が下がることで、他の菌が過剰に増えなくなり、
世界がゆるやかに安定していく。
乳酸菌は、その場にある栄養を食べ尽くすのではなく、環境ごと「育てる」菌なのです。
酸が強くなりすぎると自らの代謝を止め、活動を休ませる。
だから、彼らが作り出す世界は「終わりのない休息」のように続いていきます。これが、食品保存の本質です。
腐敗菌が“動き続けることで生をつなぐ”のに対して、
乳酸菌は“静かに止まることで生を保つ”。
このふたつのリズムが、自然の中では見事に共存しています。
家でもできる、乳酸発酵の体験
乳酸発酵は、特別な設備がなくてもできます。
台所で、誰でも、簡単に実践できるんです。。
たとえば「白菜の塩漬け」。
1. 野菜を洗って切り、重さの2〜3%の塩をまぶす
2. 密閉できる容器に入れ、空気をなるべく抜く
3. 常温(20〜25℃)で2〜3日置く
4. 少し酸っぱい香りがしてきたら、冷蔵庫へ
これだけです。
野菜の表面についていた乳酸菌が、塩と温度の条件で自然に動き出します。
できあがった漬け物は、保存がきくだけでなく、
ほんのり酸味があり、体がすっと受け入れるような優しい味になります。
それが、乳酸菌が整えた環境の“味”です。


