僕たちの体には、もうひとつの生命が息づいています。
それは、数兆もの細菌たちが織りなす“腸という宇宙”です。彼らは見えない場所で、僕たちの気分を傾け、何を食べたいかを促し、時には生きる力そのものを支えています。
食欲も、幸福感も、やる気さえも、すべては腸の中に暮らす菌たちとの共鳴から生まれています。
彼らは僕たちの内側にある“もう一つの自然”。腸という生態系のリズムが整うとき、心と体は不思議なほど穏やかに調和していくの
心と体の関係。なぜ、無性に甘いものを食べたくなるのか。心が穏やかなとき、そうでないときの違いは何なのか。
そのようなことを深く理解したい方にぜひ読んでほしい記事です。
共生する生命。人と菌の関係。

腸内細菌という言葉を聞いたことがある人は多いと思います。どういうことかというと、人と細菌は共生してるんです。そして、共生している細菌の数は、膨大なのです。
人が持つ遺伝子と腸内細菌たちが持ついでんしの数を比較すると、一目瞭然。
人間の遺伝子数が約2万であるのに対し、腸内細菌叢全体の遺伝子数はおよそ300〜500万。人間の150〜250倍にあたる膨大な情報量なんです。
僕たちは進化の過程で、多様な環境や食性に適応するために“機能の外部委託”を行ってきました。
つまり、人間は進化の途中で体のすべての働きを自分だけでまかなうのをやめたんです。食べ物を分解したり、ビタミンをつくったり、有害物質を処理したりするような“細かい作業”を、腸内の細菌たちに任せるようになりました。
たとえば、草食中心だった時代には、植物の繊維を分解する菌と共に生き、雑食に移ると、肉や穀物を処理できる菌と手を組む。こうして、時代ごとに食べ物や環境が変わるたびに、人間の体はその都度「新しい酵素を自前で作る」のではなく、「その働きを持つ菌」を取り入れることで対応してきたんです。つまり、進化の過程で「機能を菌に委ねる」ことで、生き延びる柔軟性を得たということですね。
菌たちは人間の体の中で、栄養や温度、湿度といった安定した住環境を得ています。
その代わりに、代謝、免疫、自律神経(体のアクセルとブレーキ)など、宿主の生理機能を支える方向に作用してきたんです。
その結果、人間と腸内細菌は切っても切れない関係。ひとつの生命体として機能する“スーパーオーガニズム(超個体)”へと進化したのです。
体が感じる ― 菌の信号と感情の動き
細菌たちからの信号は、理性(意識的に考える)よりも先に“体のレベル”で感情を動かします。
彼らはセロトニンやGABA、ドーパミンといった神経伝達物質(気分や意欲をつくる化学メッセージ)の生成を促し、宿主である僕たちの気分や食欲、ストレス反応を微妙に傾けています。
それはなぜかと云うと、菌たちが自分たちにとって過ごしやすい環境をつくるためです。
たとえば、ある菌がセロトニンを増やし、ストレスをやわらげる方向に作用すると、腸の蠕動運動(消化のリズム)が安定し、栄養が安定的に供給されます。これは菌にとって「住みやすい環境」が維持されるというメリットです。
また、糖や脂質を好む菌は、宿主の嗜好をその方向へ傾け、自分たちのエサを確保します。つまり、菌は自らの生存条件を整えるために、人間の行動を“微調整”しているのです。
僕自身、数年前に発酵食を日常に取り入れたとき、体がゆっくり整っていく感覚を覚えました。夜の寝つきが良くなり、朝の気分が静かに落ち着く。理由を説明できるわけではないけれど、体の内側で“リズムが戻る”ような安心感があったんです。
その変化を通して、菌たちは確かに僕たちの内なる感情のリズムに寄り添っているのだと実感したのです。
超個体としての僕たち ― 理性では制御できない生命のリズム
こうした細菌たちの働きによって生まれる欲求や感情は、理性ではコントロールできません。我慢するという行動は取れても、欲求が生まれること自体は、どうにもならない。
なぜなら、菌たちからのシグナルは脳の表層よりも深い場所、脳幹や辺縁系(感情や本能を司る領域)に作用しているからです。
そこは“生きる”という衝動を担う領域であり、論理よりも先に命のリズムが動く場所です。
菌は40億年以上も前から地球に存在し、すべての多細胞生命の祖先と共に生きてきました。人間はその進化の延長線上に生まれた存在です。
僕たちの体も心も、菌たちのリズムの上に成り立っています。
腸は、もはや単なる臓器ではありません。
数兆の生命が共鳴しながら、ひとつの“生命体”として僕たちを形づくっています。
食べたい、安心したい、幸せを感じやすい土台を整えたい。そのすべての根っこには、菌たちの静かな働きがあるのです。


