「問題」と聞くと、できるだけ早く解決したいもの、できれば関わりたくないもの、と感じる人が多いと思います。でも、ハンドレッドアカデミーではまったく逆の見方をします。そこでは、「Problem is the Solution(問題こそが解決である)」という言葉が、根本的な哲学として語られています。
この言葉を最初に提唱したのは、パーマカルチャーの創始者の一人、ビル・モリソンです。彼は「問題は排除すべきものではなく、観察すべき現象である」と言いました。つまり、問題の中にこそ改善や創造のヒントがあるということです。
問題は、敵ではなく教師
現代社会では「問題=悪いこと」という思い込みが強く、何かトラブルが起きるとすぐに解決策を探したり、原因を排除しようとしたりします。けれど、自然界に目を向けると、問題とはむしろ「バランスを取り戻そうとする動き」そのものです。

たとえば雑草が増えるのは、裸になった地面を守るための自然の応急処置です。害虫が増えるのは、生態系の多様性が欠けているサイン。
つまり、問題は「悪者」ではなく「自然の声」なのです。その声を観察し、意味を読み取ることができれば、解決はすでに始まっています。
自然界の「Problem is the Solution」
パーマカルチャーでは、問題を排除する代わりに、デザインによって問題を活かすという発想をとります。
雑草 ― 傷ついた大地のセラピスト
雑草は、荒れた土地の“医者”のような存在です。
人が耕しすぎて固くなった土や、むき出しになった地面に、自然はすぐに雑草を生やします。スギナやヨモギ、オオバコなどは、根を深く伸ばして空気を送り込み、硬くなった土を少しずつほぐしていきます。
タンポポの根はまるで地下のストローのように、下層のミネラルを吸い上げ、上の土へ届けます。雑草が枯れたあと、その栄養が地表に戻り、やがて肥えた土になります。
つまり、雑草は“問題”ではなく、大地の自己治癒力そのものなのです。
害虫 ― 多様性を取り戻すためのサイン
一方、害虫と呼ばれる虫たちも、自然の中では重要な役割を担っています。
たとえば、同じ作物ばかりが並ぶ単一栽培では、生態系のバランスが崩れ、特定の虫が急激に増えます。けれど、それは「単調さを嫌う自然」が発している警告です。
虫たちは、弱った植物を優先的に食べてくれる清掃員でもあります。
つまり、彼らの出現は自然からのメッセージ。そこに花を植え、鳥を呼び、天敵を招けば、虫もまた生態系の一部として調和していく可能性が開けます。
生ゴミや落ち葉 ― “捨てるもの”の中にある循環

人の暮らしの中で出る「生ゴミ」や「落ち葉」も、多くの人が“厄介なもの”と感じます。処分が面倒で、重たく、臭いも出る。だから袋に詰めて遠くの焼却場へ。
でも、その中には、新しい命を育む資源が眠っています。
野菜くずや落ち葉は、時間をかけて分解されると、微生物の栄養になり、豊かな堆肥になります。森では誰も掃除をしなくても、落ち葉が積もり、微生物やミミズがそれを分解し、土がつくられます。
コンポストも同じ原理で、人の暮らしの中に「循環のデザイン」を取り戻す知恵です。
つまり、ゴミとは「役割を見失った資源」。
視点を変えれば、問題はそのまま資源に変わります。
人間の「Problem is the Solution」

この考え方は、社会の中にもそのまま応用できます。
たとえば、過疎化が進む地域では「人がいない」ことが問題とされますが、見方を変えれば「新しい人が入りやすい余白がある」ということです。外からの人や新しい価値が入りやすい土壌があること自体が、可能性なのです。
人とのつながりの希薄さや孤独の問題も、「新しい関係性をデザインする必要がある」というメッセージとして受け取ることができます。社会の課題を誰かの責任として切り離すのではなく、新しいシステムを創る入口として見ること。これもパーマカルチャー的な発想です。
対立は、学びの入口
世代間のギャップや価値観の違いも、しばしば「分断」として語られます。しかし、対立が起きるということは、それだけ多様な視点が存在しているということです。
若者はスピードと変化を重んじ、高齢者は経験と安定を大切にする。どちらが正しいかではなく、どちらも必要な知恵です。
意見の衝突を避けるのではなく、そこから互いの視点を学び合うとき、文化はゆっくりと受け継がれます。
「対立は、学びの入口」。この言葉は、人間社会の中にある「共生のデザイン」を象徴しています。
空き家という“余白”の価値

地方の空き家もまた、社会では「問題」として扱われがちです。けれど、その空き家こそが、新しい暮らしの実験場にもなり得ます。
僕の場合は、古民家に住んで自分で傷んだ箇所を直しながら住んでいます。パーツを入れ替えながら全体性を保つ。法隆寺のような考え方を、僕は“有機的建築”と呼んでいます。
有機的建築は技術ではなくシンプルに気合いなので、誰でもできます。僕の人生に、家を買うための数千万円のローンは不要なのです。
また、空き家は移住者が拠点として使ったり、アトリエやシェアスペースにしたり。空いているということは、自由に使える余白があるということです。そこから地域の再生が始まる。
「余白のある土地」は、人が集う場所になる。問題は、つねに新しい関係や物語を呼び込む“入口”なのです。
情報過多の時代に生まれた「静けさの自由」

SNSやメディアによる情報の洪水も、多くの人が疲弊する現代的な「問題」です。これによって僕たちは常に他人の人生、頭の中に触れ、疲れ果ててしまいます。
でも、情報が溢れる時代は、同時に「自分で何を選ぶか」をデザインできる時代でもあります。
ITに加えてAIが世に出てきた今、僕たちの可能性は大きく広がりました。多種多様な知識に、スマホ一つでアクセスできます。AIの検索能力は人間の比ではありません。イメージでいうと、手のひらに世界中の図書館があり、常に秘書が100人くらいスタンバイしていて、自分に必要な本を瞬時にもってきてくれるようなものです。
自分に本当に必要な情報を知っていれば、情報の波にのまれることはありません。
問題を、自分の武器にする
僕は、苦しいときに自分の心を畑に例えてみます。
それは、孤独や怒りという“雑草”が心の中に生い茂るとき。それを引っこ抜こうとする前に、なぜ雑草が生い茂ったかを考えるようにしているんです。
「何者かになりたい」「お金がほしい」「地位がほしい」「みんなに理解されたい」「認められたい」
このような感情を種にした雑草は、無理やり勢いを抑えようと思ってもほとんど不可能。引っこ抜いても、刈り取っても、直ぐに再生します。
抑え込むよりも、そのまま受け入れて、そのエネルギーを正しい方向に向けていく。自分が本当に心の底から望んでいるものは何か。もし明日死ぬとしたら、自分は最後に何をするだろうか。
雑草はものすごいエネルギーです。素の自分が進みたい方向さえ見つければ、雑草が持つ莫大なエネルギーを利用しない手はありません。雑草のエネルギーは自分にとって何よりの味方になります。
心の中で起きることも、自然と同じく意味があります。問題を通してバランスを整える。それが「内なるパーマカルチャー」です。
デザインとは、問題と共に生きる知恵

問題をなくすことが目的ではなく、問題とどう共存し、どう循環させるかを考えること。
自然における問題も、社会における課題も、そして自分自身の葛藤も、すべては「次のデザインの入り口」。
「Problem is the Solution」という言葉は、自然と人間をつなぎ直すための知恵であり、生き方そのものを見直すための哲学です。


