「人と人、人と自然の関係性が資本になる」
僕はこれまで、資本とはお金やモノのことだと信じていました。何かを始めるには資金が必要で、それがなければ何も動かせないと思っていたのです。しかし、実際に暮らしの現場で人と関わり、自然と向き合うようになってから、その考えは少しずつ崩れていきました。

畑で採れた野菜を友達にお裾分けしたとき、「こんどはうちの梅を持ってくるね」と笑顔で返ってくれる。そのやりとりにはお金のやり取りはありませんが、不思議と心が満たされ、明日を生きる力が湧いてきます。これこそが、僕が感じている“関係性資本”です。
モノが不足していた時代には、豊かさとは「どれだけ持っているか」で測られていました。しかし今は、モノはすでに十分すぎるほどあります。むしろ現代の課題は、モノはあるのに、人と人がつながれず、孤独や不安が広がっていることです。
つまり、これからの豊かさの基準は「何を持っているか」ではなく、「どんな関係性のなかで生きているか」へと移行しつつあるのです。

畑を始めたときも、同じような感覚を覚えました。最初の頃は「どうやったら効率よく収穫できるか」ばかりを考えていました。しかし、手を入れ、見守り、待つことで、やがて畑全体がひとつのリズムを持ちはじめます。
そのリズムに僕自身が同調していくと、不思議と心が落ち着き、頭の中の雑念が消えていきました。畑はただの食料生産の場ではなく、僕の心と体を整える「生命の基盤」そのものになっていったのです。
土に触れ、苗の成長を見守るうちに、僕はまるで自然と会話しているような感覚を覚えることもあります。風が葉を揺らす音や、雨の匂いに耳を傾けるたび、小さな生命の営みが僕の内側に響くのです。
僕はそこで気づきました。「自然との関係もまた資本である」と。自然とつながっているという感覚は、未来への安心感になり、生きるための自信につながっていきます。
関係性資本は、
与えるほど増える:信頼は分かち合うほど育っていく。
循環する:一方向の投資ではなく、互いに関わり合うことで豊かさが広がる。
危機に強い:心が折れそうなとき、支えてくれるのは人とのつながりであり、自然との一体感です。

これまでの社会は、お金を中心に設計されてきました。しかし、お金はあくまで手段のひとつであり、それ自体が生きる力になるわけではありません。むしろ今、僕たちが必要としているのは「この場所で生きていける」という安心感、「困ったときは支え合える」という信頼感です。

この体験をきっかけに、僕は資本というものが「安心して生きられる状態」を支えるエネルギーなのではないかと考えるようになりました。お金はその一部に過ぎず、本質はむしろ関係性の中にある。誰かに必要とされること。自然から受け入れられていると感じること。その安心感こそが、人間が行動し、創造し、生きていく原動力になる。これこそが僕にとっての資本の定義になっていったのです。
関係性資本には特徴があります。
ひとつ目は「所有できない」ということ。関係性に値段をつけることはできません。だから、それを所有することもできないと思います。
2つ目は「循環することで価値が深まる」ということ。関係性は独り占めしようとした瞬間にしぼみ、仲間や自然に還元しようとするほど豊かになります。
3つ目は「安心感を与える」ということ。僕たちは社会の中で役割を持つことや自然の循環の中に参加することで、自分の存在に意味を感じます。これは通帳の数字が増えただけでは得られない感覚です。

今、世界ではお金を中心とした資本主義が限界を迎えつつあります。物価が上がっても給料は追いつかない。不安を打ち消すためにもっと稼がなければならない。そんな緊張状態が社会全体を覆っています。しかし一方で、コミュニティを再生しようとする動きや、自然と共に暮らすライフスタイルが少しずつ広がっています。人々はどこかで気付き始めているのだと思います。安心は“買うもの”ではなく、“築くもの”なのだと。
僕が目指しているのは、関係性が資本となる社会のモデルをつくることです。それは決して理想論ではありません。すでに僕の周りでは、助け合いながら暮らしをつくる人たちが現れ、土地や建物がただの資産ではなく「場」として機能し始めています。そこでは、お金の価値は相対的に下がり、人と人、人と自然の結びつきが、お金以上の力を持ち始めているのです。
最後に、僕は問いかけたいと思います。あなたがいま持っている安心感は、通帳の残高から生まれていますか?それとも、誰かとのつながり、自然との調和の中から生まれていますか?未来の資本は、きっと後者の中にあります。そしてその資本は、僕たちが望めば、今日からでも育て始めることができるのです。


